はじめまして。涼成175×57×22(2021年時点)といいます。
わけあってこのフェチの世界で募集したことはありません。
出会ったのは電気あんまサークル管理人のモモンガさんだけなので、
本名で自己紹介します(苗字は伏せます。かなり珍しい名前なので)。
僕が電気アンマにハマってしまったのは
小学生時代の体験が原因です。
もともとちょっとそういう気質があったのかもしれません。
大人になって考えるとそう思います。
とはいえ普通は
中々僕みたいな体験をする人はいないんじゃないかな。。。と思い、
モモンガさんの後押しもあって体験談として
形に残そうかなと思いました。
同じフェチ仲間として興味をもって貰えるとうれしいです。
出身は関東圏です
。幼い時は気にしていませんでしたが
両親はだいぶ年をとってからの子供で、
一人っ子なためかなり甘やかされて育ったんじゃないかなと思います。
体は高校生になるまでは小さい方で、華奢でした。
容姿は自分で言うのも何なんですがw悪くないです。
親戚や友達のお母さんなんかにもよく
「ジャニーズはいりなよ」
といわれてました。これも自分で言うのも何なんですがw
都内歩いていて芸能事務所にスカウトされる事も
小学生のころから現在にいたるまで何度もあります。
その上小さい頃から甘え上手だったので色んな人から可愛がられていました。
幼稚園の頃、つきなみに同じ幼稚園の女の子が好きなって
よく遊んでたのですが
なんだか男の子の友達とかの足元が気になったり
男の子の友達と一緒にプロレスごっこみたい遊んだ時に
、馬乗りにされたりくすぐられたりとかが妙に好きだったので、
そういう性癖の片鱗はあったように思います。
地元公立の小学校にあがり友達が増えても、
そういうのは変わりませんでした。
高学年の人たちにも男女関係なくよく遊んでもらっていましたが
かっこいい男の上級生とかによくちょっかい出して構ってもらっていました。
「かんちょー!」とか後ろからすると、
大抵の上級生が「やったな〜!」とくすぐってきたり、
かんちょー仕返しされたり。それを期待していたんですねw。
もうその頃からちょっと(だいぶ??)Mでした(笑)
でも電気アンマはされた事も見たこともありませんでした。
なにせ僕が生まれた時には既に50代半ばだった父とは、
そういう遊びは一切したことがないので・・・。
小3の時にクラス替えで仲良くなった友達に誘われて、
地元の少年サッカーチームに入ることになりました。
・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・
Y君がニヤニヤしながら指示を出してきました。
Y君「じゃあ涼成、その壁に背中つけてこっちに足を出せ」
(従う僕)
拓真「おい、涼成マジやめとけって」
ぼく「大丈夫、ぜったい」
拓真「いや、お前なんだか知らないんだろ?
コレ、しらない??(電気アンマのマネをしてたw)」
ぼく「なにそれ?」
拓真「いや、まじ死ぬよw」
ぼく「大丈夫」
Y君「(足を拡げた僕の前に座って)よし、じゃあ覚悟はいいな?」
と、ここまでは記憶なのですが。
ここから先はなんと映像に残ってますw。
部屋にコーチの一人(一番若いMコーチ。ビデオ撮影係もしてた)が入ってきて、
手にはカメラ。
「お〜、お前ら何してんだ?」
と撮影しながら聞いてきて、みんなカメラ目線。するとY君が
「今から悪さをした拓真の身代わりで涼成に電気アンマするところで〜す」
とカメラ目線で答えると・・・・・
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